「状況のつくり方」最終回

こんばんは。副編です。
みなさんお元気ですか?
今日も余震が続いていますね。
日に日に増え続ける犠牲者数の数字や、
報道であらわになる現地の様子を目にするたびに胸が締め付けられる思いです。
被害に遭われた方々には、心よりお見舞い申し上げます。

さて、「こんなときに」かもしれませんが、
こんなときだからこそ、明日のデザイン活動のヒントとなる情報を
みなさんへお届けしたいと思います。
長谷川浩己さんと山崎亮さんによる「状況のつくり方」第12回目。
今回で最終回を迎えることになり、簡単ではありますが対談をまとめました。
少し長くなりますが、最後までご覧いただければ幸いです。
(遅くなってすみません!!)

尾内

↓↓↓

連載「状況のつくり方」最終回

これまで、66号から76号まで続けてきたこの鼎談ですが、本誌のリニューアルに伴って連載を終了することになりました。最終回は2月18日、ライフアンドシェルター社の共同オフィス「foo」にてUST中継・録画をしました。

a0111625_21182160.jpg



副編
それではまず、これまでのゲストを振り返ってみましょう。

第1回 太田浩史さん(東京ピクニッククラブ代表)
第2回 廣瀬俊介さん(風土形成設計事務所代表)
第3回 ナガオカケンメイさん(D&DEPARTMENT PROJECT代表)
第4回 山崎亮×長谷川浩己 <家島見学>※
第5回 鈴木毅さん(大阪大学大学院准教授)
第6回 馬場正尊さん(Open-A代表)
第7回 西村佳哲さん(働き方研究家)
第8回 長谷川浩己×山崎亮 <軽井沢 星のや・ハルニレテラス見学>※
第9回 芹沢高志さん(P3代表)
第10回 広井良典さん(千葉大学教授)
第11回 鷲田清一さん(大阪大学総長)
※はゲストなしで対談を行いました。

よくぞここまで続いたなあ…というのが正直な印象ですが、山崎さんと長谷川さんにこれまでの鼎談を振り返っていかがでしょうか?

山崎
僕はこの鼎談で初めて会った人ばかりでしたね。ナガオカさんはこれがきっかけで益子の土祭に来ていただいて、その後マルヤガーデンズでの協働につながりました。この鼎談がなかったらマルヤガーデンズの実現もなかったわけです。馬場さんともその後リノベーションシンポジウムでお会いする事になりましたし、芹沢さんとも神戸のクリエイティブセンター、大阪の現代アートセンターで一緒に仕事をすることになっています。
 ゲストの方へ僕の仕事をうまく説明しきれなかったという反省点はありますが、毎回大事だと思うポイントは共有できていたように思います。それが何であるかを一言で言えたらいいのですが…。

副編
もともとこの鼎談を始めるきっかけは、山崎さんと長谷川さんが初めてお会いしたときに、「状況」というテーマで話が盛り上がり、これをもとに何か企画できないかと考えていったことでしたね。

長谷川
僕がこの鼎談を通して知りたかったのは、デザインの範囲。鼎談の中でも話したことですが、僕が20代の頃、アメリカの大学院に通っていたとき、若い人によくあるように手が動かなくなったことがあったんです。デザインをしろと言われても、何をしたらいいのかわからなくなってしまった。いろいろ悩んだあげく、デザインとはカタチをつくるというよりは、シチュエーションをつくることだと自分なりに納得することができた。けれど、「状況をつくる」と一言で言っても、山崎さんと僕のアプローチは明らかに違う。では、デザインという行為はどこまでを指しているのか。
 今日、もう少し山崎さんと話ができたらいいなと思うテーマは、「デザインにとって課題は必要か」ということ。僕自身は、何のためでもなくデザインするということはやりづらい。でもそれが本当に課題を解決しているのかを確証する術はない。僕の言う「コミュニケーション」は抽象的で、モノを通じてコミュニケーションをつくろうとしているけれど(第11回の鷲田清一さんとの話に出た「alone together」のような人との関わり方など)、起きている確証はない。だから自己言及的で自己満足的なところがあると思っています。

副編
「デザインに課題は必要か」。この問いに対して山崎さんはどうお考えですか?

山崎
アートとデザインの違いを説明するときに、「課題」を引き合いに出すことがあります。アーティストが課題を抱えていないというわけではありませんが、さまざまな課題を体感したアーティストがその反応として表現したものがアートだとすれば、デザインはどんな課題に対してどのように回答を与えていくのかを、明確に説明する必要があると感じます。なぜならそこに明確な施主がいるから。デザインにおける施主はアートにおけるパトロンとは違う存在です。もちろん、デザインはひとつの課題だけを解決するものではなく、複数の課題をまとめて解くツールだと思います。

長谷川
僕もそう思います。僕らの関わるランドスケープデザインは一般的には対象の幅が広い。たとえ住宅にしても、お施主さんの課題が課題と言えるのか、都市全体の課題や設計者の思いから生まれる課題も含まれる。いろんなフェーズの課題がある。そういう「プロブレム・ソルビング」※注 もデザインの大きな役割だし、課題をどこまで見るのか、設定の仕方もいろいろあるのでしょう。
 昨年、東京ミッドタウンとアクシスギャラリーで開催された「世界を変えるデザイン展」の内容に共感しましたが、その一方で、「星のや・京都」の庭をデザインする仕事をしていました。僕にとってこの仕事は、京都の庭師の仕事を触れたことに大きな意味があった。ただ、彼らの仕事は世界の5%どころか0.1%の客人のためのものかもしれない。では、庭師が抱える課題は、果たして社会的か社会的ではないのか。この問いに対して僕はまだ答えられないけれど、どちらもきわめて大事なことだと思います。
※プロブレム・ソルビングとは、問題を発見し、それを解決するための策を見出し、実行するまでの一連の作業。

山崎
僕の仕事は、「プロブレム・ソルビング」を専門家だけでやるのか、住民だけでやるのかというグラデーションの間をコーディネートしていくことです。公共事業などに多く見られるように、最近は解決策を専門家が出して解決された後の状況を住民が楽しむということが当たり前になった。そのために少し行き過ぎてしまったお客様第一主義になってしまっている。それを、江戸時代のように住民自らが街をマネジメントする状況に戻すため、僕はコミュニティデザインを仕事にしています。京都の庭師さんが専門家の粋を集めて仕事をするのも当然必要だけれど、僕らは、もう一度自分たちの生活を自分たちで豊かにしていく住民の力を取り戻したいと思っています。


副編
山崎さんの仕事は課題がないと始まらないのでしょうか?状況が先にあって、課題を見つけて行くのでしょうか?

山崎
基本的には「人と人とがつながっていない」という大きな課題があるので、極端に言えばつながればまずは成功と思うところがあります。さらに、そこでつながった人たちが、自分たちが考える地域の課題を自分たちの力で一つずつ解決し、それが他の方にも感謝される活動になることで、コモンではなくパブリックの領域にもプラスの影響力を持つようになり、持続的な問題解決になることを目指しています。

副編
では、逆に長谷川さんにとっての課題とは?

長谷川
僕の課題は自分でも自己満足的だと思うことがあります。たとえば軽井沢の仕事における僕の個人的な最終目標というのは、軽井沢という街が持続的に観光の街であり続けられること。そこの土地にとっても、町の人にとっても、来訪者につくるも、そして事業者にとっても、みんなが満足できて、かつクオリティを維持できるループをつくること。そのために星野リゾート(の仕事)でプロトタイプをつくりたいと密かに思っている。ただ、結果が見えないときは確固たる検証はできないから自己満足的だとも言える。

山崎
経済に近いデザインの課題は、僕のいうコミュニティがつながっていない課題と同様に、モノやサービスが売れなくなっていることが大前提としての課題となりますね。

長谷川
星野リゾートが収益を上げるというのは、僕にとってはまず果たさなければいけない与件です。この先、「星のや」や「ハルニレテラス」が持続し続ければ、それは自己満足ではなくて、方向性には間違っていなかったと言えるかもしれない。でもいまの時点ではそうあって欲しい、としか言えない。
 昔、アメリカのランドスケープ事務所である「ササキ・アソシエイツ」や「SWA」を設立したヒデオ・ササキさんにお会いしたとき、「やる・やらないという判断は個人で判断するしかない。資本主義の世界のなかで動かざるを得ないとき、僕ならベターな回答ができると思うのならば、僕はやる」とおっしゃっていたことがありました。

副編
山崎さんが自己満足的だと思うことはあるのでしょうか?

山崎
僕の仕事の場合、最終的なソリューションやアイデアを出すのも実行するのも住民の人たちなので、僕の自己満足が入り込む余地はそれほどありません。一方、僕が満足するとすれば、まちの人たちが僕の想定を超えた活動をし始めて、端から見ていても「いいな」と思える影響力を持ち始めたときでしょうか。家島もマルヤガーデンズもそうですが、驚くようなことが起きてくるとうれしいですね。

a0111625_21192032.jpg


長谷川
ファシリテーションは自ら媒体しているところがありますね。鼎談は叶わなかったけれど、中井久夫さんのような精神医学系と近いところがあるのかもしれませんね。でも、僕にはできないなあと思う。僕はカタチを介した方がやりやすい。そんなに人好きではないけれど、抽象レベルとしては人好きなんだと思います。

山崎
ファシリテーションにもいくつかの種類があります。多くの場合、ファシリテーションは対話の場をつくるためにあり、教育や生涯学習に近いところで活動している。僕の場合は、目の前の課題をどう解決していったらいいかのためにワークショップを行い、副産物として対話や成長がある。だから、ファシリテーションを専門とする方たちからすれば、僕の手法は答えが先にある「仕組まれたワークショップ」だと感じるんじゃないかな。まさしくそのとおりで、答えがないワークショップをやることはほとんどありません。目の前の課題を解決するために、ある意味では住民を誘導している。その手のファシリテーションをファシリテーションと呼ばない人もいるだろうと思います。

長谷川
誘導しつつ何かを期待しているところもある?

山崎
ありますね。解決策が提示されて僕の仕事が終わりだったら誘導すればいいのかもしれないけれど、みんなで考えた解決策をその後は自ら実行してもらわないと困る。そこへいかにつなげるかが大事です。これが解決策ですよと僕が答えを提供してしまうと、言われたからやってみようとなる。そして、やってみてうまくいかなかったら次の答えを僕に求めだす。そうではなく、「あなたたちがやると言ってやったんだから、ダメだったら次の手を考えてください。その力はもう持っているでしょう」という風に言って住民の人たちに自ら乗り切ってもらわないと、自分たちで町をマネジメントしていくことにはならない。

長谷川
答えを提供してしまうと「状況」ではないということなんでしょうね。ランドスケープのデザインもその先を期待するところがある。「状況」という言葉に僕が反応しているのは、そこで完成していない感覚があるから。次に起こる何事かを期待しているところがあるのだと思います。・・・

(つづく)


副編より。
このあともUSTではしばらく会話は続きますが、ここで今回の鼎談企画最終回をまとめたいと思います。毎号楽しみにしてくださった読者のみなさん、ありがとうございました。この企画をまた別の形でみなさんに楽しんでいただけるよう、現在検討中です。
 毎回お声がけするゲストの方々はどなたも多忙で、いつもスケジュール調整に苦しみました。けれど、鼎談をしていくと、この「状況のつくり方」というテーマが、これからの社会づくりのポイントになると共感できた確信と自信を得ることが出来ました。お忙しいなかお時間をいただき、ありがとうございました。
 最後に、2年前同じテーブルを囲んだ瞬間から飛び出したこの無計画な企画に、最後までご協力いただきました長谷川浩己さん、山崎亮さん、ありがとうございました。またこれからも、お二人のご活躍には注目し、誌面やその他で多くの方へ伝えることができるよう努力していきたいと思います。

では、またどこかで。
ありがとうございました!



会場をお貸しくださった、ライフアンドシェルター社の相澤さん、中継を担当してくださった元永さん、ありがとうございました。
USTでは、相澤さんと元永さんを交えた会話を楽しむことができます。ぜひお聞きください。
http://www.ustream.tv/channel/foo-azabu-live
[PR]

by marumo-ld | 2011-03-22 21:24 | LD編集部からのお知らせ  

<< ランドスケープ関連 震災復興シ... 明日(2月23日)発売LD77... >>